2012年



ーー−4/3−ーー 課外授業の映画  


 先日、たまたまテレビのBS放送にチャンネルを合わせたら、見覚えのある映画のシーンが現れた。見てすぐにそれが「黒部の太陽」だと分かった。

 1968年に公開された映画で、当時たいへんな人気を博した。しかし制作者の一人であり、主演者でもある石原裕次郎が、「映画館の迫力あるスクリーンで観て欲しい」と言ったので、ビデオ化やDVD化はされず、幻の名画となっている。テレビで放映されるのも、33年ぶりだそうである。

 黒四ダムの建設に当たり、工事関係車両を通すためのトンネルを、長野県大町市と黒部峡谷を結んで掘削した。その通称「関電トンネル」建設工事のドラマである。工事の途中で破砕帯と呼ばれる地層に突き当り、大量の出水が続いたため、世紀の難工事となった。そのトンネルは、現在立山黒部アルペンルートの信州側からの入り口として使われている。

 映画の細かいストーリーは、多少古臭いところもあるが、とにかく工事現場のシーンが凄い。圧倒的な臨場感である。突発的に水が出て、作業員が流されるシーンでは、怪我人も出たそうである。トンネルが貫通して、作業員が入り乱れて喜ぶシーン。何百という数の黄色いヘルメットが、暗く狭い坑道にひしめいて、異様な熱気に満ちていた。

 私はこの映画を、中学生の時に観た記憶がある。封切り直後、学校の行事として、新宿の映画館へ繰り出して観たのだった。その後観る機会は無かったはずだから、その時の記憶が鮮明に残っていたのだろう。ついこの間見たように、画面が思い出された。

 ところで、私が小中学生だった頃は、よく課外授業で映画や演劇を観に行った。他に覚えている映画は、ガストン・レビュファ主演の登山ドキュメンタリー「天と地の間に」。いまから考えれば、よくもまあこんなに地味な映画を選んだものだと思う。途中から飽きて居眠りをしたり、私語を始める連中がいた。しかし、映画自体は美しく、思索的で、印象的だった。

 小学校の夏休みには、学校の校庭で映画会が催されたりした。校舎の壁にスクリーンを掛け、校庭に子供椅子を並べて会場にした。親子連れで観客席は埋まった。演目は、「白血球のはたらき」とか、「喜びも悲しみも幾年月」などだった。風が吹くとスクリーンがゆらゆらと揺れて、風情があった。

 中学の時は、中野区の公会堂へ、演劇を観に行ったこともあった。学校からゾロゾロ歩いて出掛けた。演目はゴーゴリの「検察官」だった。生の演劇の面白さが印象に残った。また、能楽を観に行ったこともあった。こちらの内容は覚えていないが、演者の着物の裾が舞台に出ていた釘の頭に引っ掛かり、往生していたという些末な事が記憶に残っている。

 子供の頃の体験は、鮮明に記憶に残る。学校の授業の内容は一切記憶に無いが、課外授業の映画や演劇は、林間学校や臨海学校の出来事と同じく、いまだに良く思い出す。




ーーー4/10−−− デジタル・フォト・フレーム


 デジタル・フォト・フレームなるものを試してみようと思い、娘に相談したら、何かの記念品で貰ったものがあり、使っていないから貸してくれると言った。

 私が考えていた使用目的は、写真集だった。出先で仕事の話になり、家具の画像を見せる場合に、これなら持ち運びに便利だと思ったのである。ところが、入手した品物を見ると、その目的には、あまり向かないことが判明した。

 まず、電源コードを繋がなければならない。バッテリー式もあるようだが、使える時間が短いらしい。また、画面の縦横比の関係から、画像が小さくなってしまう。画面一杯に表示するモードだと、縦横の比率が狂って、正しい印象が得られない。そんな理由で、作品の写真集として使うことは棚上げとなった。

 せっかく貸して貰ったのだから、別の用途を試してみようと考えた。山登りで撮影した画像データを入れ、文字通り写真立てのようにしてデスクの脇に置いた。

 2010年の北アルプス横断縦走。この記録が、一番見応えがある。およそ280枚の画像を、15秒間隔で映す。フルスクリーン表示にすると、横に伸びた画像になるが、風景の写真なら気にならない。

 デスクワークの傍ら、見るともなく目をやると、いつも違う画面が現れている。見飽きることが無い。つけっぱなしにしても、一日の電気代は2円程度である。

 長く寒い冬の間、山は雪に閉ざされているが、このフレームの中には、光に溢れた夏山の光景が展開している。それがとても懐かしく、遥かな夢を見るような気持ちにもなる。




ーーー4/17−−− タイタニック号の舵取り


 タイタニック号の沈没事故から、今年で100年だそうである。しかも一昨日、4月15日の未明がその時だったとか。建造の地、北アイルランドのベルファストは、タイタニックをめぐる話題でおおいに盛り上がり、観光客が殺到しているそうである。映画「タイタニック」の3D版も上映されている。国内ではまだだが、海外では振動や風、匂いなどが体感できる4D版も登場したとか。1997年に製作された映画も、リニューアルして評判となっている。

 そのタイタニック号の事故について、ウエブで眺めていたら、興味深い記述があった。氷山発見の知らせを聞いた航海士は、船の進行方向を左側に向けるべく、操舵手に対して「Hard starboard」と命令したというのである。左に進路を変えることを、日本語では取舵(とりかじ)と言う。だから、この「Hard starboard」は「取舵いっぱい」を意図して発せられたことになる。

 しかし、「starboard」なる英語は、船の右舷を意味する。私は若い頃ヨットをやっていた時期があり、starboard=右舷、port=左舷と覚えている。そして、操船に関して「starboard」と言えば、右舷に向かって進路を変える事、すなわち面舵(おもかじ)を意味する。だから、タイタニック号の航海士が発した「Hard starboard」は、「面舵一杯」と訳される。

 これでは左右が逆ではないか?

 興味をそそられたので、ちょっと調べてみた。そうしたら、1910年代を境に、言葉の意味が逆転したという事が判明した。つまりstarboardの意味は、それ以前は取舵であり、それ以後は面舵になったと言うのである。なぜそうなったのか。

 ヨットに乗ったことがある人なら分かると思うが、ヨットの舵の上部には、舵柄(ティラー)と呼ばれる棒が付いている。その棒の先端を握って、舵を操作する。ヨットに限らず、小型の船は同じような構造の舵となっている。昔の帆船もそうだった。

 さて、舵柄の先端、握っている部分を右に向けると、船は左に曲がる。左に向けると、右に曲がる。つまり、舵柄の向きと旋回方向は逆になる。そして、昔の船は、舵柄の向きを、舵取りの合図にしていた。航海士がstarboardと命じれば、それは舵柄を右舷に向けることを意味し、すなわち左に旋回する「取舵」を意味したのである。

 その後時代が変わり、舵輪という装置が使われるようになった。自動車のハンドルと同じように、回した方向に進路が変わるという仕組みである。そうなると、左に旋回するのにstarboard(右舷)と呼ぶのは具合が悪い。そこで、旋回する方向を舵取りの合図にすることになった。starboardは、右への旋回を意味する言葉になったのである。

 タイタニック号が沈没した1912年当時、この舵取り用語の切り替えがまだ移行時期だったようである。突発的な状況に混乱し、指示を出した航海士と、実際に舵を切った操舵手の間で、概念の行き違いがあったかも知れない。左へ旋回させるつもりが、右へ曲がってしまったと。それが氷山に衝突した原因であるとの説もある。

 反対の動作をしてしまうことは、致命的な結果を招く恐れがある。にもかかわらず、人間の判断の曖昧さは、緊迫した事態に際して、全く逆の動作をしてしまう事がある。自動車のアクセルとブレーキを踏み間違えるという身近なことから、過去の原発の重大事故まで、そういう事例はあまた存在するのである。

 ところで、劇場で上映された映画「タイタニック」の中で、航海士が「Hard starboard」と叫ぶのを、字幕では「面舵一杯」と書かれていたとの記事がどこかのサイトにあった。映像ではあきらかに左旋回(取舵)しているのに、おかしいではないかと。字幕の翻訳者が、現代の言葉をそのまま訳した誤りであろう。




ーーー4/24−−− パソコンで懸賞


 新聞や雑誌の懸賞に応募して、商品や映画のチケットなどを大量に手に入れている人の話を読んだことがある。狙ったものが全て手に入るわけではないが、何らかの品物が当たる確率は結構高いとのことだった。コツは日常的にマメに応募をすること。その人は毎日何枚も応募ハガキを出しているらしい。ハガキを大量に出せば、それに見合った数の当選があるというのである。

 我が家にパソコンが入ってから10年以上経つが、家内はずうっとノータッチだった。それが、昨年あたりからネット通販を利用するようになった。パソコンに向かう時間が増え、次第に興味が広ったようである。オークションなどにも首を突っ込むようになった。そして、懸賞にも手を出し始めた。

 やり始めると、懸賞は結構当たるということが分かった。フランス観光局のシャンパンとフォアグラのセットを筆頭に、ジャガイモ、珍味(このわた)、調味料セット、カタログ賞品券などが相次いで届いた。やはり応募した数に応じて当選するようだ。

 一昔前なら、ハガキに書いて送らなければならなかった。それは手間を取られ、郵便料金も掛かった。現代は、ネットで懸賞を見て、パソコン操作で応募するから簡単だ。料金も掛からない。それこそ手当たり次第に応募することができる。以前はマニアの世界だった懸賞が、今や誰でも気軽にできる事となった。

 おそらく、懸賞を提供する側も、ネットに乗せることで大幅に経費が節減できるのだろう。ハガキで届いたものを仕分けし、抽選をし、宛先を書いて当選者に発送するという昔のやり方に比べれば、ほとんどの事が自動的に処理できる。人件費が浮けば、そのぶんの費用を懸賞品に回すことも可能だろう。

 しかし、と家内は言う。敵もさるもので、懸賞を使った宣伝効果を高めるために、いろいろ制限を設けたりする。ブログやツイッター、フェイス・ブックなどをやっている人でないと参加できなかったり、参加は出来ても当選しにくいようになっていたりする。あるいは、特定の通販サイトの会員になっていないと応募できないものもある。

 家内が懸賞に当たった話を聞いて、仙台にいる次女が真似を試みたそうである。ところが、住所や氏名をインプットするのが面倒で、じきに諦めてしまったとのこと。そんな事すら面倒に感じる者には、懸賞は無理である。もっとも、一日中家に居て、気ままにパソコンを覗ける家内と、学生の身分の次女では、状況が異なるが。ところで、住所氏名を自動入力できる懸賞もあるが、家内によるとそういうものは当選の確率が低いようだとのこと。応募する人の数が多いからだろう。

 インターネットの進歩によって社会は急激に変化しつつあるが、懸賞の世界も様変わりが進んでいるようだ。





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